1848年(嘉永元) 10月17日佐渡相川で鷹之助・らくの長男得之進として誕生。
1863年(文九3) 幕府遣欧使節の一員(父の従者益田進という名)として江戸出立。
1867年(慶応3) 富永えいと結婚。
1872年(明治5) 井上馨の元で、大蔵省四等出仕となる。孝と改名。
1874年(明治7) 先収社設立。総裁井上馨、社長岡田平蔵、頭取として務める。社名千歳会社後に、先収会社に社名変更。
1875年(明治8) 長男太郎誕生
1876年(明治9) 先収会社解散。三井物産設立。益田孝総轄(のち社長と改称)三井物産が「中外物価新報」を創刊(のちの「日本経済新聞」)
1877年(明治10) 御殿山の土地を購入。
1880年(明治13) 観世流の梅若に入門。
1881年(明治14) 茶会を開く。(現在確認できるもっとも早い、孝の茶会)
1883年(明治16) 吉田屋老松(吉田タキ)を落籍。
1885年(明治18) タキとの間に二男信世誕生。(初代小田原市長)
1888年(明治21) 応挙館完工。
1893年(明治26) 三井物産合名会社理事に就任。
1894年(明治27) 三井物産合名会社専務理事に就任。母らく死去。
1896年(明治29) 御殿山碧雲台で第1回大師会開催。
1900年(明治33) 台湾製糖設立。取締役に就任。源氏物語絵巻模写完成。(田中親美)
1904年(明治37) 父鳳死去。
1906年(明治39) 小田原板橋に掃雲台の造営開始。
1907年(明治40) 三井三郎助管理部長とともに欧米出張。茶碗(銘鈍太郎)購入。
1908年(明治41) 新築太郎庵で鈍太郎を用いて還暦自祝茶会を開催。鈍翁と号す。(鈍太郎にちなみ)
1913年(大正2) 為楽庵開きの茶会を催す。
1914年(大正3) 三井合名会社改組。理事長制を設置し団琢磨が理事長に就任。孝相談役に就任。
1919年(大正8) 応挙館で佐竹三十六歌仙の抽選で斎宮女御入手。
1922年(大正11) 財団法人光悦会設立。会長に就任。
益田農事株式会社設立。社長に就任。
1926年(大正15) 妻えい死去。
1929年(昭和4) 第1回遠州会(碧雲台)
1938年(昭和13) 松花堂惺々翁300年忌茶会を行う。12月28日死去。(享年満90歳)