松永記念館 老欅荘

  北条時代から茶趣に非常に縁が深かった小田原。明治維新後、大名などの後盾を失い、一時衰退した茶道は、礼儀作法として女子教育に取り入れられるなど新しい形で生まれ変わっていきました。
  ここに紹介する三人は近代数寄茶人と呼ばれ、流儀の茶から脱して独自の茶道を打ち立て、多くの茶室・茶器などを生み出しました。
  平成12年8月から保存整備工事を行っていた松永記念館 老欅荘がオープンして一般公開されております。要人が集まって数々の茶会が開かれた老欅荘は、あの電力王・電力の鬼と言われた松永安左ヱ門(耳庵)が昭和21年に建てたものです。
  小田原を舞台に茶の道を極めた近代小田原三茶人は全国的にも有名です。


野崎幻庵(廣太)(のざきげんあん)
昭和15年春、自怡荘にて。
幻庵は、茶人たちの茶会記事を、個人的に創刊した中外商業新報(日本経済新聞の前身)などを通じて詳細に報じ、茶道を広めました。三越社長を辞めたあと、小田原に自怡荘(葉雨庵)・安閑草舎を相次いで建設したことでも有名です。

益田鈍翁(孝)(ますだどんのう)
昭和10年ころ。
  鈍翁は三井の大番頭と呼ばれ、これを世界最大の財閥に育て上げた功績で知られています。
  鈍翁が小田原に掃雲台をつくり移り住んだことから、全国から次々と茶人たちがこの地を訪れました。このことから「小田原詣で」の言葉が生まれました。
 
 


松永耳庵(まつながじあん)
昭和40年ころ、老欅荘の縁側で。
耳庵は戦後の経済界を指導し。「電力の鬼」として知られました。晩年は老欅荘に住み、茶の湯に親しむ生活を送りました。