小田原城さんぽ 2017年09月08日号

小田原城さんぽ [177] 早川用水引込用木管

=日本最古の水道の引込用木管?=

odawarajyo-sampo177_hayakawayousuihikikomiyoumokkan▲早川用水導水木樋

天文一四年(一五四五)連歌師谷宗牧(たにそうもく)が小田原の城下に泊って、庭の筧(かけい)の水が箱根の芦ノ湖から来ていると聞いて驚いたことがある(東国紀行)。上板橋で早川を分水し、小田原城下に導いて多目的用水に用い、やがて山王川に放流する『小田原用水』は、これによって北条氏三代氏康の時代には、すでに完成していたことが知られる。
特記すべきことは、この水道は小田原城の水濠には最初から関係がない。また城下の都市水道としては、恐らく日本で最初の例であったと思う。
東海道のほぼ中央を開渠(かいきょ)で流れ、沿道の家々は松丸太の背をはいで中を繰抜き、再び蓋をして土中に埋め、これで自家の軒下まで上水として引水した。あくまで水平に埋設するので、管末の水槽に達した水は、汲んだ量だけ補充されるのでロスは少ない。写眞は発掘された引込用木管の一部で、市郷土文化館に展示されている。
odawarajyo-sampo177_kyodobunkakan_map(小田原の城と緑を考える会長 田代道彌)

-小田原城さんぽ, 2017年09月08日号