2017年01月06日号 小田原城さんぽ

小田原城さんぽ [168] 板橋見付総構跡

=地名も城下入口の板橋に起源か?=

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見付地形は城の大手門前などに作られ、直進して来る敵軍をあえて直角に横列に展開させ、そして城内から全軍に横矢が浴びせられるように工夫している。
江戸時代に普及し、小田原でも山王口や板橋口にそれが構築された。
板橋は小田原城下の外でいわゆる御府外に相当するが、城下と府外を境する位置には写眞のように地表に大きな落差があり、それが延々と続いている。天正一八年(一五九〇)豊臣秀吉の大軍を防いだ総構(大外郭)も、この付近ではこの長い落差を天然の要塞に見たて設計されていた。
それより先三代氏康頃に開さくされた小田原用水は、逆にこの落差を克服するのに苦労して、板橋背後の丘陵の根際を辛うじて通水させたものである。この位置で髙く水を流さないと、通り九町を貫流して山王口まで、とうてい用水は届かないからである。

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(小田原の城と緑を考える会長 田代道彌)

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