2017年03月10日号 小田原城さんぽ

小田原城さんぽ [171] 伝・平成輔(たいらのなりすけ)の墓

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=早川尻で処刑された南朝の忠臣の墓所=

小田原城下の「お花畑」から、新久の「お台場」跡へ出る道の途中にある。この一帯はもと潮音寺という大寺が存在したが、明治末年に寺は報身寺に合併し、現在この墓地も報身寺が管理している。
平成輔は後醍醐天皇の討幕計画に関与したが争前に洩れて、六波羅探題に捕らえられた。
そして鎌倉へ護送される途中に罪状が決定して、ここ早川尻で斬られたという。
彼ら南朝の忠臣はこのように旅の途中で処刑されたらしく、南足柄では藤原範茂が同様の目にあった。しかし範茂は五体が欠けては来世に再生できないと言って、自ら水に浸かって殺されることを望んだという。その辞世「思ひきや 苔のした水せきとめて 月ならぬ身の 宿るべしとは」
しかし成輔の辞世は知られていない。また範茂処刑の地を、ここ早川とする説もある。地元小学校では戦時中成輔命日に、生徒を連れてこの墓に参拝していた。
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(小田原の城と緑を考える会長 田代道彌)

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