小田原城さんぽ 2017年04月07日号

小田原城さんぽ [172] 石屋善左衛門家東照宮

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=江戸開発に貢献した小田原石工の故地=

板橋を貫流する小田原用水に沿って歩くと、途中にこの東照宮の屋根や石鳥居が見える。とりあえず大きな一対の石造鏡餅がまず眼をひくであろう。この東照宮とは、江戸城の石垣工事をはじめ、日本橋の小田原河岸や本小田原町を開発した、石屋善左衛門家の古文書を收納する目的で創られたものという。
北条氏小田原城を接收した家康は、まず城内本丸にあった石造の煙硝藏の工作のみごとさに感心した。そこで早速これを施工した名工が呼び出されて、これが小田原石工善左衛門一統が、江戸城と江戸城下の建設に従事するきっかけとなった。
現在の日本橋三越の前面に小田原石工が船で運んだ石揚河岸があり、その地に町屋ができてこれが「本小田原町」の起源である。振袖火事以後に小田原河岸は築地へ移転し、その地を南小田原町と呼び、四丁目までに発展した。南小田原町の名が消えたのは、実に昭和四一年のことである。

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(小田原の城と緑を考える会長 田代道彌)

-小田原城さんぽ, 2017年04月07日号