小田原城さんぽ 2022年07月22日号

小田原城さんぽ [220] 御城米(ごじょうまい)曲輪

=小田原藩ではなく徳川家直属の米藏=

現在整備が続いているこの曲輪は、北条氏時代中期以降は本丸に付属する要害として、重要な位置を占めてきた。ついで秀吉の来攻に備えてここに『百間藏』という巨大な米藏が建造され、それは後に家康により江戸城に移設された形跡がある。
江戸時代になっても小田原城は徳川家の城という性格が強く、そのため徳川家の城付きの米がこの曲輪には収納されていた。小田原藩の用米は城外の『元藏』や『新藏』で出納していたのである。
次に徳川家御城米の管理だが、その量ははじめ玄米一,六一二石余で、四斗詰の俵にして四,〇三二俵という膨大なものであった。そして古米を新米に入替えるのはもちろん小田原藩の責任である。
これを収納する米藏は当初城米曲輪の中にあったが後に北側の土塁上に三棟が移され、幕末に近く曲輪面に三棟が建ち、計六棟の姿で明治を迎えている。


(小田原の城と緑を考える会長 田代道彌)

-小田原城さんぽ, 2022年07月22日号