小田原城さんぽ 2022年10月28日号

小田原城さんぽ [222] 新玉新道


=明治以降の新道はたった二条のみ=

小田原城下は早く北条氏時代後期からその原型が構成され、江戸時代にも著るしい改変は見なかった。これは小田原城下の形態として、特筆すべきことのように思われる。
ところが明治以降現在に到るまでも、新らしく開削されたいわゆる新道は僅かに二条しかない。その一はここ新玉新道で、位置は竹の花広小路の北東端から、台宿町へとやや弓なりの直線道路がそれ。
道路の完工は明治一五年一〇月だが、それより前の明治八年に江戸時代以来の多数の町名を緑町・新玉町・万年町・幸町・十字町の五ヶ町に統一していて、この新道は新玉町に属したので新玉新道だ。
僅かに二条しかないと記したが他の一条は、須藤町つまり銀座通り南端から、平井書店東側までの道で、明治一五年一二月に開通した。緑新道がこれである。この道は後に青色申告ビルまで延伸され、新道なのに七区と呼ばれた。


(小田原の城と緑を考える会長 田代道彌)

-小田原城さんぽ, 2022年10月28日号