小田原城さんぽ 2017年07月28日号

小田原城さんぽ [176] 大久保神社

2017/08/04

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=小田原藩公二代を祀る神社=

小田原北条氏が無血開城して滅亡した後、徳川家康は秀吉の要請を容れて、大久保忠世を小田原城主とした。当時の小田原城は関東最大の規模だったから、当然家康が在城しまたは家康直近の重臣が入城する筈なのに、そうではなかったところに秀吉の計算があった。
明治三年に小田原城が破却された後に、大久保氏の旧臣を中心に天守を失った天守台の髙い石垣の上に、大久保神社が創建された。祭神は小田原大久保氏の初代忠世であった。当時の小田原町が大久保家を通じて、遺構保存の名目で、陸軍省から買收したからである。
ところがその後小田原城の本丸および二丸は御用邸になることが決定し、大正一二年の震災後までそれが続いた。そこで大久保神社も天守台の上から、小峯の現在地へ遷座することになった。移建は明治三三年八月であった。なお九代忠真が合祀されたのは昭和一〇年のことである。
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(小田原の城と緑を考える会長 田代道彌)

-小田原城さんぽ, 2017年07月28日号