小田原城さんぽ 2017年09月29日号

小田原城さんぽ [178] 望月軍四郎と「静山荘」

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=もとは三百石取り大目付役の御屋敷=

小田原城下の西海子小路と、諸白小路の交点の西北の角に位置を占める。もとここ西海子小路と東海道とに挟まれた一帯は、小田原藩の上級ないし中堅藩士の住宅に宛てられていた。明治になって住人は少なからず入れ替ったが、しかし藩士の住む屋敷町つまり武家地の風景が残る唯一の地域なので、早く景観保存の施策が切望されるのである。
写眞の静山荘も、所有者の望月氏はこれも小田原の人ではない。幕末ここは横井作十郎の屋敷で、この家は藩の大目付や御旗奉行などを歴任し、知行三百石を得ていた。
現在の建物は銀行・保険外社・京浜電鉄・湘南鉄道など広く経済界に貢献した故望月軍四郎(一八七九~一九四〇)の別荘である。はじめ上府中村にあった農家をここに移建して、内部を別荘として改修したもので、平成七年に市は「小田原ゆかりの優れた建造物」に指定した。不定期に公開されている。

odawarajyo-sampo178_seizansou_map(小田原の城と緑を考える会長 田代道彌)

-小田原城さんぽ, 2017年09月29日号