小田原城さんぽ 2017年11月24日号

小田原城さんぽ [180] 半幸町(はんこうちょう)

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=中間長屋(ちゅうげんながや)の町か=

小田原城主が稻葉氏から大久保氏に交替した時の『貞享三年御引渡記録』(一六八六)に、「竹花裏はんこ町」
の名が見える。しかし後には多く半幸町の文字を宛ててきた。そして小田原ではこの地名の意味については、江戸時代以来一度も説明されたことがない。
はんこうは板行とすれば木版刷りを発行することだが、それが町名になるとは考え難い。
するとはんこうは中間や奴の髪型であろうか。
後頭部を剃り残すのが彼らのスタイルで、髪型の名が彼らの代名詞でもあった。
仙台城下では大筒組の足軽に取立てられた二二名の住居が半甲町であった。浜松では半頭町をはんこう町と訓ませるが、そこは二〇名ほどの中間が住んでいて、半頭は髪型である。
小田原の半幸町も足軽長屋の続く竹花表組や裏組の南に位置し、髪を半頭にして「はんこう」と呼ばれた人々の住んだ一角であったものと、私は考える。

odawarajyo-sampo180_hankouchou_map(小田原の城と緑を考える会長 田代道彌)

-小田原城さんぽ, 2017年11月24日号