小田原城さんぽ 2018年05月18日号

小田原城さんぽ [185] 八幡山薬師堂付近

2018/07/25

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=城下の薬師信仰の盛衰をみる=

JR小田原駅西口から、県立小田原髙校に向う通称「百段坂」の、その中段を右手に入った突当りの付近に、その薬師堂は存在した。
小田原城下絵図のうち、私が現存図では最古と考察した『加藤図』は、その製作年代は元和・寛永初期(一六一四-三二)と推定されるものだが、この図には他を圧して大きくこの薬師堂が描かれる。
当時の薬師信仰の隆盛が知られ、また私はこの観察から、加藤図は藩の製作ではなく民間の立場の作図と考えた。
その後正徳五年(一七一五)に、薬師堂の大部分は管理してきた入谷津の願修寺の手を離れる。『文久図』の薬師堂の位置は空白になっていて、次の記事がある。「正徳五未年願修寺願ニ付九反三畝ト之内三反五畝廿五ト差上、入谷津御林之内ニ而夫丈者替地被下置御分引残五反七畝五ト同寺持ニ相成候」。小田原の薬師信仰の変遷を示す一例と思われる。

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(小田原の城と緑を考える会長 田代道彌)

-小田原城さんぽ, 2018年05月18日号