2016年11月18日号 小田原城さんぽ

小田原城さんぽ [166] 江戸時代谷津口門跡

2016/12/22

=駅西口新幹線の陸橋の基部の近くに=
小田原城さんぽ166-P_江戸時代谷津口門跡

谷津口門は北条時代と江戸時代とでは、その位置が相違するらしい。天保初年に書かれた『相中雑志』にも、「一、谷津口御門ハ以前ハカラ堀之内、吉野氏向ヒ三角土手辺也」と言う。現在のお濠端の堀が蓮池につながり、さらに北上して城山中学校の急壁に接近する時、その堀と急壁との間の狭い通路を扼して、空堀の内側の位置に、以前の門は存在した。
『相中雑志』はまた別に「新御宮御勧請ノ時、今ノ地ニ移スト云々」とするが、大久保忠世の祀った若宮八幡は小田原高校の中なので、場所は離れ過ぎこの部分はよく解らない。
以前ハカラ堀之内の位置はひとまず確定したとして、次には当時つまり幕末天保の頃はどこに谷津口門は位置したのであろうか。多くの絵図にもこれに触れることは稀だが、ひとり『文久図』がそれを指示する。
写真は駅西口だが、中央の新幹線陸橋の左手基部付近が、その門跡である。

小田原城さんぽ166-地図_江戸時代谷津口門跡
(小田原の城と緑を考える会長 田代道彌)

-2016年11月18日号, 小田原城さんぽ