小田原城さんぽ 2018年12月21日号

小田原城さんぽ [192] 山上横町

2020/06/26

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=小田原北条氏の忍びの一族か=

一丁田町の途中から東に折れて、新宿(しんしゅく)へ向う横町の入口付近をこう呼ぶ。北条氏時代に家臣の山上強右衛門久忠(すねうえもんひさただ)の屋敷がこの付近に存在したので、それが地名になったという。
同じ町内に住んで市郷土文化館々長を勤められた故宇野応之氏によると、久忠の屋敷跡は誓願寺の門前に推定される由であった。その付近は後に「誓願町」と呼ばれるようになって山上横町に重複するので、この横町の西部を山上横町、東部は誓願町と仮りにして置く。
さてその山上氏は近江の出身で、北条氏政・氏直二代に仕えた。故郷は甲賀郡の地だから、山上氏も忍びの術をよくした甲賀者の一族であろう。北条氏の度々の合戦に斥候の役など勤めながら、騎馬三〇騎足軽百人を預けられていた(『新編相模国風土記稿』)。後に氏直に従って髙野山に登り、さらに家康に召し出され、その子文七郎は徳川秀忠の家臣になっている。
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(小田原の城と緑を考える会長 田代道彌)

-小田原城さんぽ, 2018年12月21日号