2019年01月11日号 小田原城さんぽ

小田原城さんぽ [193] 山王川河口

2020/06/26

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=山王神社と篠曲輪(ささくるわ)と=

北条氏時代、山王口と井細田口との中間に澁取口(しぶとりぐち)が存在し、『相中雑志』によると、この城門の石垣を崩して山王神社に運んだという。その山王神社はもと国道より海側に祀られていて、津波被害を避けて慶長八年(一六〇三)現在地に移されたと社伝にはある。
天正の末頃の小田原の石垣は基本的には山石を用いず、海岸や河原から運ばれた丸石を積む例が多い。山王神社周辺でそのような玉石の石垣を探すのだが、まだ発見できない。
山王神社の現在地は東側を山王川が流れるが、この川と江戸口見付との中間に台地があって、惣構堀の外側なので捨曲輪または篠曲輪と呼ばれていた。北条氏の弓の名手鈴木大学はこの曲輪に櫓を作って家康軍を悩まし、徳川方も奇襲作戦でこの曲輪を奪取している。山王神社周辺には今もこのように位置不明の遺構が、どこかに眠ったままでいる。
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(小田原の城と緑を考える会長 田代道彌)

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