小田原城さんぽ 2019年02月15日号

小田原城さんぽ [195] 謎の丸馬出(まるうまだし)と三日月堀

2020/07/06

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=江戸時代最初の小田原城大手門か=

最も古い小田原城絵図は『加藤図』だが、私はこれを慶長一九年(一六一四)から寛永八年(一六三一)の間の成立と考証した。
この図には後の大手門はまだ描かれず、その代りにさらに前方に巨大な丸馬出がある。フリーハンドの図なので史料としての信ぴょう性も疑われがちであったが、その後次第に多分に信頼できる情報を提供することが知られるようになった。
一般に丸馬出と三日月堀は、甲斐武田氏特有の遺構のように云われがちである。
しかし加藤図はそれが小田原にも存在して、松原神社北側から後の大手門にかけて、江戸初期に巨大な馬出が構成されていたことを告げる。
他の例では、松平信綱が川越城に二箇所にこれを造っている。また本多正純は宇都宮城の太鼓門の前衛に丸馬出・三日月堀を作った。
小田原城も含めて、この頃徳川家老臣たちの間に、このような流行があったようにも思われる。
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(小田原の城と緑を考える会長 田代道彌)

-小田原城さんぽ, 2019年02月15日号