小田原城さんぽ 2019年05月17日号

小田原城さんぽ [197] 小田原城寛永天守閣

2020/07/07

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=華麗な桃山風天守=

小田原城の天守閣は『加藤図』の描く江戸初期のもの、ついでこの寛永期、次に現在の模造天守の原型の宝永天守の、この三種類が建設されたと考える。中野敬次郎氏はそれ以前に北条時代天守の存在を指摘したが、その可能性はないと思う。
第二期の寛永天守は『正保図』に描かれ、写眞のように各層とも柱を外に見せて古態を示す。腰羽目も板張りが通例で、後に火矢などを避けるため、柱も板羽目もなく全面白亜の壁に変化する。
屋根は最上層のみ入母屋で他はすべて寄棟に作り、第二層・第三層には朱塗りの勾欄が飾られている。桃山時代の華麗な雰囲気が再現されていて、派手好きの三代將軍家老が止宿した時には、喜んで天守にも登っている。
この天守は元祿一六年(一七〇三)の地震で崩壊し、その後宝永二年(一七〇五)に建てられるが、様式は一変して徳川家天守となり、現在の模造天守もこの形式によっている。
【写真】小田原城寛永天守閣
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(小田原の城と緑を考える会長 田代道彌)

-小田原城さんぽ, 2019年05月17日号