小田原城さんぽ 2019年10月18日号

小田原城さんぽ [200] 小田原城大手門跡

2020/07/08

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=急ぐべきは大手門の復原=

写眞は現在の時鐘堂を、市民会館窓からみおろしたところである。この鐘楼の石垣の位置とその規模は、江戸時代の大手門渡り矢倉の北側の石垣をほぼ忠実に踏襲していて、石の積み方だけが、関東大震災後に鐘楼堂石垣の形に変えられただけだ。
写眞の鐘楼の向うに裁判所玄関の屋根が見えるが、それよりやや手前に北側と同じく渡り矢倉台の石垣があって、この二基の矢倉台を結んで白亜の渡り矢倉がのせられていた。双方の矢倉台の石垣の髙さまで含めて、二の丸の銅門よりひと回り小さく、矢倉は三間×一一間(銅門は四間×一二間)であった。
ここ大手門の門前の勢溜りやその先の大手土橋さらにこれに続く門前の堀などは、すでに小田原の城と緑を考える会が中心になって公収化が実現している。小田原城の天守閣人気が持続している近頃、大手門復原計画は至急に策定すべきではないか。

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▲元祿10年(1697)頃の小田原城大手門

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(小田原の城と緑を考える会長 田代道彌)

-小田原城さんぽ, 2019年10月18日号