小田原城さんぽ 2020年07月31日号

小田原城さんぽ [206] 居神々社文保板碑

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=西さがみ阿弥陀信仰の初期遺物!=

民衆の信仰は空海が髙野山で説いた真言宗と、最澄が比叡山に據って広めた天台宗が並び立っていた。やがて鎌倉時代に入ると地藏信仰が昂まり、例えば箱根の精進池の畔の石造建造物が、六道地藏はじめ大部分の石仏や石塔がすべて地藏信仰の遺物ばかりである。後世曽我兄弟とか廿五菩薩など誤った呼名がつけられているに過ぎないのである。
ところが鎌倉時代の末頃から西さがみではにわかに阿弥陀信仰が隆盛になる。民衆は講を組織して念佛するが、彼らの信仰は板碑に遺されていて、熱烈な信仰が知られるのである。
年代順に挙げると、板橋見付の居神々社に文保元年(一三一七)と元亨二年(一三二二)、青橋から出土して上野博物館に行っている碑が建武元年(一三三四)、国府津の宝金剛寺には建武五年(一三三八)、城米曲輪出土品は康永元年(一三四二)などである。居神々社の二基は、この地方最初の念仏碑として記憶されてよい。
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(小田原の城と緑を考える会長 田代道彌)

-小田原城さんぽ, 2020年07月31日号