小田原城さんぽ [207] 天王横町(てんのうよこちょう)
=悪疫退散『牛頭天王(ごずてんのう)』を祀る横町=
小田原城下の安斎小路(あんさいこうじ)の西に並行して、西海子(さいかち)小路に達する狩野(かの)殿どの小路は、天王横町とも呼ばれる。さらに西に諸白小路(もろはくこうじ)・天神小路・御馬屋(おうまや)小路などが並んでいる。
実はこれら小路の名も私たちが小田原の城と城下の解説を始めてから意識的に吹聴したもので、戦前から多くの市民は忘れていた。
狩野殿小路もそれで、土地では知らない人が多く、もっぱら天王横町と呼ばれていた。東海道から海側へ入り人家二軒過ぎた位置に牛頭天王を祀る小祠(写眞)があり、それで天王横町なのであった。
京都祇園の八坂神社はスサノオの命が祭神だが、その本地仏は牛頭天王で、つまり疫病退散の神仏である。そして小田原では幕末の安政・文久から明治にかけてコレラや赤痢が流行し、大正時代スペイン風邪に及んだ。この小祠は誰がいつ祀ったかは不明ながら、このコロナ禍の中にも、参拝する人を見ないのは、何か申訳けない気がする。
【写真】天王横町の「牛頭天王」
(小田原の城と緑を考える会長 田代道彌)