2021年01月08号 小田原城さんぽ

小田原城さんぽ [210] 板橋の『細川家陣場跡』

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=一夜城につぐ小田原攻めの陣場遺構=

板橋と風祭との間の小丘は海抜一一〇mを測るが、通称富士山(ふじやまと呼ばれ、この山腹から採れた石材を富士小松という。江戸時代にはこのような円錐形の山には富士浅間(せんげん)講の信者らが富士山の遙拝所を設けたが、ここ富士山にも山上に浅間社の小祠が祀られている。
天正一八年(一五九〇)小田原城の出城のように総構(大外郭)から突出孤立するこの要害を見て、秀吉の武将たちの多くがこの乗取りを申し出ていた。ところが秀吉はそれらを斥け、あえて細川忠興にその奪取を命じた。忠興は勇躍して昼夜攻撃を続け、数日でこれを占領した(関八州古戦録ほか)。
いま山上を踏査すると、細川家が構築した雄大な空堀が小田原城大外郭に面して掘られ、これに続いて三つの曲輪が直列して展開している。秀吉側の陣場としては一夜城につぐ天正戦役の遺構なので、早急な保存整備計画の策定が切望される。
【写真】富士山細川忠興陣場と早川

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(小田原の城と緑を考える会長 田代道彌)

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