小田原城さんぽ 2021年03月19日号

小田原城さんぽ [211] 小田原城『唐門』と『能舞台』

2021/07/30


=江戸城の出城の面影を残す小田原城=

小田原城は本丸に徳川將軍家の宿舎「本丸御殿」が建ち、そのため藩主は二ノ丸に居館を置いてこれを「二ノ丸御屋形」と呼んだ。
また城米曲輪の米藏には常時一万九千俵(元禄二年当時)近い玄米が貯藏されていたが、これも徳川家に属して小田原藩の米ではない。
小田原城内にはただ一箇所だけだが、唐門(からもん)が建てられ、これも各地城郭には原則として許されない門だから、注意されてよかろう。位置は銅門(あかがねもん)の北隣で二ノ丸御屋形の総門との間であった。
唐門がここに設けられたのは、將軍家または勅使などが本丸御殿宿泊の際、二ノ丸御屋形で能が興行されると、この唐門から直接に観能の席に通じている構成だからである。つまり唐門と能舞台は一連の建築であったと思われる。これらの造営は家光上洛に併せ寛永一〇年(一六三三)に行われ、元禄一六年(一七〇三)の大地震まで七〇年間存在していた。

(小田原の城と緑を考える会長 田代道彌)

-小田原城さんぽ, 2021年03月19日号