小田原城さんぽ 2021年08月06日号

小田原城さんぽ [213] 北條稻荷社


=北条時代から劇作家北條秀司まで=

古新宿(こしんしゅく)町の最東端の位置で、赤い鳥居がよく目立つ。北条氏時代はここ古新宿町が東海道で、ここから道は海岸の砂丘の上に出て、つぎに山王川河口に出た。江戸時代に北隣に新宿町が起立すると、それ迄の新宿にあえて古を冠して、古新宿と呼んで区別をした。
この社は北条氏の帰依を受けていて、二代氏綱は神主天十郎太夫に伊豆の屋敷を安堵し三代氏康は城内にあった社を、現在地に勧請したと伝える(『新編相模国風土記稿』)。
劇作家の北條秀司氏(本名飯野秀二)は、箱根登山鉄道に在職中から実母がこの社を尊崇し、後には本人も社の老神官と懇意になっていた。それから会社を辞職して文筆で独立する迄の間、北條稻荷のご託宣や予言は、一再にとどまらず、それらは皆適中していたという(『北條秀司:演劇雑記帳』)。彼のペンネームもまたこの社に因むことはいうまでもあるまい。

(小田原の城と緑を考える会長 田代道彌)

-小田原城さんぽ, 2021年08月06日号