小田原城さんぽ 2021年12月17日号

小田原城さんぽ [216] 大澤正秀五輪塔

2021/12/17

=慶長型五輪塔の優品=
大澤正秀は美濃の斎藤道三に属して、各務原の鵜沼城々主であった。その後秀吉に調略されて開城し、一時は関白秀次に従っていた。しかし秀次一族が誅伐されると累は正秀にも及び、再び浪人となる。やがて関ヶ原合戦には父子で東軍として戦ひ、長男新十郎、次男又十郎と多くの従者を失う。
小田原城主大久保忠隣はこの一行を庇護したらしく、正秀と三男正重は風祭の萬松院に滞在していた。そして慶長六年(一六〇一)に旗本として遇するとの吉報に接した直後、正秀は急死したと云う。
従ってこの五輪塔は正秀の墓として、旗本となった正重が建てたものと知られる。萬松院にはこの父子二代の墓が存在する。そのうち正秀の塔は典型的な慶長期五輪塔だが、類品を遙かに超えて巨大で、髙さは二米余もある。各部とも完好で、著るしい損傷や後補も認められないので、小田原市の文化財として、保存されることが望まれる。

(小田原の城と緑を考える会長 田代道彌)

-小田原城さんぽ, 2021年12月17日号