小田原市 2022年01月01日号

今年は寅年
なぜ虎なの?どんな役割があったの?
北条氏の「虎の印判」について

2022/01/01

北条氏の印判、通称「虎の印判(虎朱印)」。今年の干支にちなみ、この虎の印判について調べてみました。

【取材協力/小田原城天守閣学芸員・岡潔さん】

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印判とはハンコのこと。小田原北条氏は、虎の姿がある印判を「公印」として、五代にわたって大切に使い続けました。

そもそも、北条氏はなぜ虎を採用したのでしょうか。その理由ははっきりと分かっていません。初めて北条氏が虎の印判を使ったのは永正15(1518)年の寅年だそうですが、では巳年だったらヘビにしたのか卯年ならウサギにしたのかというと疑わしく、寅年を理由にするのは説得力に欠けます。おそらくですが、古来から虎は龍などと同じように霊的で神聖な生き物とされていたので、権威の象徴として虎が選ばれたのではないかとのこと。

また、ハンコに彫られた「禄寿応穏」も典拠は不明。ただ、漢字には「禄(財産)と寿(生命)が応(まさ)に穏やかであるように」の意味があります。強い虎が領民の財産と命を守るというメッセージなのでしょうか。

領民と直接向き合った北条氏

北条氏が虎の印判を初めて使った文書として確認できるのは、先に述べたように永正15年の10月8日発給の朱印状。直轄の村落に租税の取り決めを通達したものです。
この朱印状には、虎の印判が無ければ地元の代官のサインがあっても従う必要はなく、もめ事になったら北条氏に訴えてよいと宣言しています。
たとえば領民から不当に税を多く取り立てようとする代官がいた場合、虎の印判を使うことで北条氏は直接領民に税の取り決めを指示でき、家臣である代官の不正を防げます。
また、それまでサインとして使っていた手書きの「花押(かおう)」よりも発給するのに効率が良く、なおかつ権威も示せる画期的な手法でした。

北条氏はこの虎の印判を、税の徴収のほか裁判の判決文などにも使用しました。民衆と直接向き合う政治をした大名と言えるのでは。

現代にも伝わる統治の知恵

印判を使った公文書の制度は、北条氏が確立したといわれています。最初に印判を使ったのは今川氏だそうですが、北条氏は早期に公印として使用。それが東国の大名に広まり、信長や秀吉も取り入れるように。現代にも通じるハンコによる行政運営は、北条氏の知恵から始まったのですね。
実物の虎の印判は現存しませんが、印判が押された文書は小田原城天守閣内に展示されています。文書からは当時の社会や暮らしが垣間見える面白さがあります。寅年の今年、虎朱印をきっかけに地元の大名の功績に触れてみてはいかがですか。


▲北条氏の「虎の印判(虎朱印)」。「禄寿応穏(ろくじゅおうおん)」の文字の上に虎の姿があります。

-小田原市, 2022年01月01日号