小田原城さんぽ 2017年02月10日号

小田原城さんぽ [170] 浄永寺七面堂

2017/02/10

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=風祭氏ゆかりの寺=

小田原の風祭は古代の風の信仰形態が地名となって遺っていて、全国的にも珍しい例である。近世以降の稻作に付隨する台風除けの風祭ではなく、冬に獣のいけにえを捧げて一陽来復を祈る習俗の風祭だからである。
その風祭の地名は鎌倉時代から史料に出てくるが、水田をほとんど持たなかった当時の風祭が、そのような古い時代から地名が知られていたのも、これも考えれば不思議なことと言うしかない。
伝承によると、その風祭の地名を苗字にした人がいて、風祭大野之亮光秀と称した。後に改姓して水之尾大木家の祖になった。この光秀が鎌倉時代建長年間(一二四九-五六)日蓮に帰依し、身延山に参詣して曼荼羅と蛇身解脱の画像を得た。これを納めるために法華堂と七面社を建立し、寺を開基して光秀山浄永寺と号した。後に風祭から谷津へ移り、さらに北条氏綱の伯父の日形の時に、妙光院を通称とし、現在に至っている。
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(小田原の城と緑を考える会長 田代道彌)

-小田原城さんぽ, 2017年02月10日号