小田原城さんぽ 2023年05月12日号

小田原城さんぽ [226] 徳川家康『今井陣場』

=諸將の髙地陣場と家康の低湿地陣場=

天正一八年(一五九〇)の秀吉の小田原攻めに当時、徳川家康の本隊は箱根峠を越えて宮城野に降り、ついで明神岳の肩の「四ッ尾」をへて久野の諏訪の原の台地に布陣した。そして家康は一時この地に留って、今井の陣場の構築を督励しながら、やがて今井陣場に移坐したものと思われる。
今井陣場の特異性は、第一にその立地で、秀吉かたの諸將の陣場はいづれも小田原城周辺の髙地であるのに、徳川軍のみが芦子川周辺の低湿地である点だ。家康の娘が北条氏直に嫁いでつまり姻戚である点をあえて明らかにして、北条家への内通などの疑念を消しているとの見方が云われてきたが、当然であろう。
今井陣場には後世小田原藩主大久保忠真が建立した家康陣地跡の碑もあり、市指定文化財になっている。また土地の柳川家が祀ってきた東照宮もあるが、周囲の堀幅二五米に達する雄偉な空堀に、まず一驚するであろう。

(小田原の城と緑を考える会長 田代道彌)

-小田原城さんぽ, 2023年05月12日号