小田原城さんぽ 2022年09月16日号

小田原城さんぽ [221] 錦織町(にしごりちょう)

=足柄上・下郡の古称西郡=錦織か?=

文字は「にしきをりちょう」だが、小田原では慣用の読みが「にしごりちょう」であった。小田原駅前の上幸田から東は須藤町の角までの、この通りの両側を現在「錦通り」と呼ぶのは、この錦織町に起源している。
その須藤町との南角に神社が祀られていて、その社の通称も「にしごりさん」であった。小田原藩主が稻葉正則の時代に、米ばかりでなく麦をも年貢の対象にした時、西郡全域の農民は反対して立ち上り、総代が関本村の下田隼人である。幸いに麦租は撤回されたが隼人は死罪となり、以後この社に祀られたという伝承がある。西郡の義民だが隼人の名を称するのを憚って、西郡さんと敬称しているのだと伝える。西郡=錦織だと云うのである。
隼人の事件は史料が乏しく多分に伝説の域を出ない。神社は大正初年に大稻荷神社境内に移祀され、錦織神社がそれである。


(小田原の城と緑を考える会長 田代道彌)

-小田原城さんぽ, 2022年09月16日号